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人に迷惑をかけてしまったなら「その分他人に寛容になればいい」

雨の日に

先日「モチベーション革命」という本を読んだ。
その中でひとつ印象に残っている言葉がある。

それは「他人に迷惑をかけちゃいけません」という現代の呪い(ありがとうの返事はお互いさま)という部分。
今の日本人はこの「人様に迷惑をかけちゃいけない」という部分に苦しめられているような気がする。

そして、Yahoo知恵袋などの悩み相談には、「他人に迷惑をかけて辛い」といった内容の質問を見かける。

さらに、その閲覧数は1万を超えている。
それだけ多く人たちが、迷惑をかけることに対して苦しんでいるということだ。

なぜこんなにも「人に迷惑をかける」ことで苦しまなければならないのか。

その理由を探すとともに、「人に迷惑をかけてしまったと悩む方に向けて、その悩みを少しでも軽くするため」にこの記事を書いている。

人に迷惑をかけてしまったなら「その分他人に寛容になればいい」

街へ

日本だと自分が好きなことをしようと思った時に、迷惑をかけていないだろうかと気にする傾向がある。

それは、何も何かに挑戦するときだけでなく、日常の些細なことでもそれは起こり得る。
周りの人に迷惑かけていないだろうかと。

特に多くの日本人は、小さい頃から親や教師に「他人に迷惑をかけるのは悪」と教えられてきた。
だから、どうしても他人の目を気にして過ごしがちになる。
やがて、他人からどう見られるかが気になり、周りの評価を取り込むことに慣れた人は、何かを決断する時に自分軸ではなく、相手軸で判断するようになる。

すると、相手に迷惑をかけないだろうかを一番に考えて、自分にやりたいことを自らセーブしてしまうようになるのだ。

それはすごくもったいないことで、自分には無限の可能性があるのに、それをやらなくなってしまう。

もっと自分のために生きてもいいと僕は思う。
その結果迷惑をかけることがあっても、それそれでしょうがないこと。

迷惑かけてもいい。
そして、そんなに自分を責めなくていい。
迷惑なんて生きていれば、誰もがするしされるし、それが当たり前。

思えば、生まれた時から私たちは迷惑をかけっぱなしだ。
まずは、育ててくれた親。
彼らがいなければ、今の自分は存在していない。

他人に迷惑をかけまくった結果、今暮らしていくことができている。
綺麗事をいっているのではなく、それが事実。
その関わりの中で、迷惑をかけずに生きるなんてことは無理に等しい。

迷惑をかけてしまったと落ち込まないで欲しい。
生きている以上、人に迷惑をかけるのは当たり前。

自分を責めるよりも、他人に対してもっと寛容的になるのはどうだろうか。

迷惑をかけてしまったことを考えるよりも、将来何か嫌なことがあっても相手に寛容になろうと思う方がプラスに働くのではないだろうか。

自分が迷惑をかけられた時に、寛容でいたい

インドでは、人に迷惑をかけるのは当たり前のこととして受け入れられている。
彼らの教えはこうだ。
「人に迷惑をかけるのは当たり前だから、自分が何か迷惑をかけられた時に他人に寛容でいなさい」

この言葉について考えてみた。
そして、思ったことは迷惑をかけまいと頑張るよりもはるかにこの方が生きるのが楽だということだ。

なぜなら、迷惑をかけるのは当たり前→なんでも自分が挑戦しやすくなる
迷惑をかけるのは当たり前→他人に寛容になる

その考え方を知って、素直にその方がいいなと思った。
だから最近は「迷惑をかけるのは当たり前だけど、その分人にも優しくしよう」と考えることにしている。

たまに自分の行動を振り返って恥ずかしくなることもあるが、それはもう過去のこと。
変えることは出来ない。

ならば、考えないようにすることが生きていく上で正解かなと思っている。

さらに、迷惑をかけることは生きる以上当たり前だと割り切ってしまうことにした。
その結果、生きるのが楽になった。

その分感謝の気持ちは忘れないように心がけている。

 

人はもっと図々しく生きてもいいんじゃないかと思う。

遠慮ばかりするのではなく、もっとガッツを見せてもいいんじゃないかと。

迷惑をかけても気にするな。
その分他人に寛容になれ。

生きるということは、迷惑をかけるということ。
人の意見や機嫌をうかがっていたら、何も出来なくなってしまう。