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不自由のない身体に感謝をするということ【耳が聞こえないカップルに会った話】

人々

『We are deaf・・・(私たちはろう者です)、手話を使って話しています。』

韓国人の彼が打ち込んだ携帯のメモ機能にはそう書かれていた。

場所はアメリカ合衆国の西海岸の街、ロサンゼルス。

そこで会ったカップルは耳が聞こえなかった。彼らは手話を使って会話をしていたのだ。

耳が聞こえない日韓カップルに会った話

あるホステルで休憩をしていた時、目の前のカップルがお互いに手を動かしてコミュニケーションを始めた。

最初は『なんか興奮して話してんな』と思っていた。しかし、注意深く観察してみると、彼らは言葉を話していない。

興味があったので、失礼を承知でこう切り出した。

『You can not hear?(聞こえない?)』ジェスチャーを加えながらだ。

すると彼は、

『We are deaf(私たちはろう者です。)』

と携帯のメモ機能に打ち込み教えてくれた。

彼は韓国出身で、彼女は日本出身。彼女は子供時代に耳が聞こえなくなったらしく、癖があるものの、日本語を少し話すことはできた。

『手話を使って話すのは大変じゃないの?』

そう聞くと、

『そうでもないよ』

と答えた。

国際カップルの彼らの共通言語は手話。その時は漠然と『困難なことがこんなにも一緒だと、二人の絆は強いだろうな』と感じた。

ぼくはただただ感心するばかり。少し会話をした後にも考えることは多かった。

自由に使えている身体に感謝するということ

『今生きているということに感謝したことはあるだろうか?

 自分の体が不自由なく使えることに感謝したことはあるだろうか?』

ぼくが普段使えているこの身体のパーツは、ある人にとっては不自由なものだ。

彼らにとっては耳が聞こえるということが普通ではない。声を出して喋るということは普通ではない。そうしたくてもできない人たちを目の当たりにした。

しかし彼らは一生懸命生きている。彼らにとって『周りの人ができること』ができないのにだ。愚痴を言いたくなったり、弱音を吐きたくなったりすることは当然あるだろう。

 

基本的には人の悩みは比べて批評するものではない。

なぜなら他人にとってどうでもいいことだとしても、その当人にとっては大きな悩みのタネだというケースが多いから。

しかしこの時、ぼくは自分の悩みと彼らの環境を比べずにはいられなかった。

一番重ねあわせることができたのは、言葉という部分。

実はちょうどその時、母国語が違う彼女と上手く話せないことに、大きなフラストレーションを感じていた。なんで上手く伝わらないんだろうと。

しかし、彼らの『会話をする姿』見た時にその考えは一蹴された。

 

耳が聞こえない、喋れない。でも楽しそうに会話している。

恵まれていると言ってはなんだが、その点ぼくは声を使ってコミュニケーションができている。そのことに感謝したことはあるだろうか。

 

強く生きるという意味を教えてくれた二人の姿は、今も目に焼き付いている。