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南米を旅して気付いた経済格差について思うこと

難民

 昨年ペルーの貧困地域に行く機会があった。そこでは日本では考えられない状況のもとで人々は暮らしている。道路ではまだまだ幼い10歳以下の子供たちがお菓子を売りながら歩いている。赤ちゃんがお母さんと一緒に道端に座って物乞いをしている。また、観光地で外国人観光客相手お金をねだっている光景は何度も目にした。多くの物乞いたちは子供連れでそれを行う。

 ペルーの高級住宅地にはタワーマンションがそびえ立ち、そこから30分も車で行けばトタンで囲まれた家に電気も水道もない生活をしている人たち。

 商店街でも同様に子供が働いている。ボリビアを旅していた時にはバスターミナルに汚い格好をしたおじいさんとその子供か孫が一緒に歩いて物乞いをしていた。その状況に僕は関心があったので、誰か助けるかと思ってみていたがそんな人は誰もいなかった。彼らの目は『なんだこの薄汚い爺さんは』といった感じで完全に見下していた。

 その状況はあまりにもかわいそうで、そのおじいさんがかわいそうというよりもはるかに子供がかわいそうだった。見た目8歳くらいの子なのだが薄汚れていて匂いもある。見兼ねた僕は日本円で300円程度あげたが、これはほんの一時しのぎにしか過ぎず、また次の日には同じようなことをしなければなくなってしまう。

 子供にそんなことをさせないといけなくなってしまうのはなんでなのだろうか。この経済格差の問題の一つには教育がある。本来なら子供たちは同じように学校に行って等しく教育を受ける権利があるはずなのだが、親の経済状況や生まれた環境によってそれができない子供たちも多い。その教育レベルの差が貧困の連鎖を引き起こし、さらにはその格差が広がってしまうのだ。

 そんな状況に生まれて来る子供とは裏腹に裕福な家庭に生まれて来る子供たちもいる。それはそれでしょうがないとしても貧しい人裕福な人と関係なく、等しく子供たちに教育を受ける権利を与えてあげないと、それは不平等ではないのか。

 また、ベネズエラは経済が崩壊し、多くの難民が近隣の国に助けを求めてやって来る。それには子供だけではなく、大人から年をとった人まで年齢層はバラバラだ。エクアドルとペルーの国境の間をバスで移動した時のことだった。夜中のエクアドルとペルー間のイミグレーションには溢れんばかりのベネズエラ人が毛布などにくるまって夜明けを待っていた。彼らはベネズエラから来た難民だ。

難民 この状況を見て僕は驚いた。これが彼らの現実なのかと。お金もなく何もない状況で遠いベネズエラからペルーにまでやって来る。ペルーでいい暮らしができるかといえばそうではない。難民ペルーではたくさんのベネズエラ人が安い給料で働いている。ペルーもそこまで発展している国ではないのだが、その国に助けを求めるまでに彼らは困窮しているのだ。その一方でベネズエラ内でも裕福な人たちは普通にレストランで食事を楽しむことができる。

 これらの経済格差は何も南米に限ったことのことではない。それは日本でも同じ現象が起ころうとしている。学費などが問題で十分な教育が受けられないために貧富の連鎖が起こる。能力のある子供ならそれを打開していけるかもしれないが、そうでないと厳しい。

 生まれて来る子供たちは様々な状況のもとに生まれて来る。しかしその先の将来においてお金のために教育が十分に受けられず将来の選択肢の幅が狭まるというのは、いいことなのだろうか。

僕個人の意見として考えることは、そうであってはならないということだ。どんな親の元に生まれてこようが、どこの国に生まれてこようが、どの人種に生まれてこようが、きちんと教育を受ける権利はある。

それによって貧富の差が連鎖することなく、平等に同じ立場で子供たちは戦っていくことができるようにしていかなければならない。生まれる場所を子供たちは選べない。だったら私たちはせめて子供たちが教育を平等に受けていけるように変えていかなければならないのではないだろうか。